新年号「令和」が発表されましたが、張衡という人物や万葉集のルーツを巡ってTwitterが活発になっています。

「令和」は万葉集を出典としており、日本の書物から言葉をもってくるのは、今までで初めてということでした。

しかし万葉集自体が中国の文章を元に書かれていたものなので、

「令和は今までどおり、結局中国の文章から持ってきているのでは?」

「どうして令和にしたのだろう?」

と思う人がたくさんいました。

こちらのページでは張衡についてや、結局どういうことなの?という疑問にお答えしていきたいと思います。

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令和の出典は「万葉集」でなくて「帰田賦」!?

令和を典拠まとめると、直接は『万葉集』の「梅花歌三十二首幷序」(大伴旅人が書いたと思われる)としています。

万葉集には「初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。」という詩があります。

これは「春の何かを始めるには良い月に、風が和やかに吹き、梅は女性が鏡の前で粉をはたいたように溢れ、蘭は芳しい香りをしている」という意味になります。

しかしそもそも『万葉集』の当該部分は、後漢の張衡が書いた書物「帰田賦」の「於是仲春令月、時和氣清」とそっくりなのです。

なので大伴旅人は『文選』を読んでたと思われます。

※文選とは中国南北朝時代、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集のことです。

今までの元号は中国の故事などを元にしていましたが、令和は日本最古の本である万葉集だと発表されました。

その為「中国から解放された!」と思った人も多いようですが、万葉集自体も中国から影響されていたものだったのです。

漢字自体も中国由来ですし、そもそも元号の風習も中国由来となっており、漢字の文化の広さを体感する人が多かったのではないでしょうか?

次の項目では張衡や「帰田賦」について調べてみました。

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「令和」に影響した張衡や帰田賦とは?

張衡(78年 – 139年)は後漢の科学者で、科学者だけの枠にとらわれず政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人としても活躍しました。

世界最古の地震計「候風地動儀」を発明した人物としても知られています。

没落した官僚の家に生まれますが、勉強をして最終的には尚書省に努めています。

そんな張衡が書き記した詩「帰田賦」は、張衡が都会で仕事をするのが嫌になって田舎を想うことを書いた詩です。

その中に「仲春令月 時和気清(仲春のよき月に、時は調和し気は清らかに澄んでいる)」という一節がでてきます。

新元号の出典は「帰田賦」でも良かったかもしれませんが、自体は都会を疎むような表現がありネガティブなので、万葉集からの出典にしたのかもしれません。

「帰田賦」を読んだ人がが太宰府で和歌でそれを本歌取りなどをして、平成時代になって誰かがそれを引用し「万葉集」とし、現在の日本では元号として発表されるようになりました。

この詩や言葉の文化が時代を超えて、今日本の新年号になったと考えると、感慨深くなる人が多くなりました。

漢字文化圏そのものを俯瞰するようさ壮大なスケール感で、感嘆する他ありません。

個人的にはこのオマージュを含めてナイスチョイス!と思っています。

「令和」は言葉を見ると「和せしむ」と読み、世の中が平和を願い、言葉通り和むような漢字がしますが、万葉集の「梅花歌」序の季節感も含まれていて実に美しい言葉だと思いました。

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