2019年4月1日に新年号「令和」が発表されました。

政府は令和の出典は「万葉集」からと発表しましたが、どうもその万葉集は張衡の「帰田賦」から引用しているとのこと。

大元ネタの方は「上司に嫌気が差したから、田舎に帰ろう」という旨の漢詩であまりポジティブなものではありませんでした。

これに対しインターネット上では「今の政治や世の中に対する皮肉ではないか?」という意見が出ています。

張衡や帰田賦について詳しく調べてみたいと思います。

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令和は「万葉集」のどこから出典しているの?

そもそもの話ですが令和は「万葉集」のどこから引用しているのでしょうか?

元の詩は万葉集巻五に収録された「序」の「梅花の詩」に書かれています。

雑謌
梅花謌卅二首 并序
天平二年正月十三日萃于帥老之宅申宴會也于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香加以曙嶺移雲松掛羅而傾盖夕岫結霧鳥對縠而迷林庭舞新蝶空歸故鴈於是盖天坐地促膝飛觴忘言一室之裏開衿烟霞之外淡然自放快然自足若非翰苑何以攄情詩紀落梅之篇古今何異矣宜而賦園梅聊成短詠

『紀州本萬葉集巻第五』

この「于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香」の部分が令和に引用されたもので『初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す』と読みます。

これは「春の物事を始めるのに良い月に 心地よく風が和らぎ 梅は鏡の前でお粉を使った時のようにほころび 蘭はとても良い香りがしている」といった意味になります。

梅花の詩は32首あり、大伴旅人を中心とするグループが詠んだとされています。

大伴旅人たちは大宰府の邸宅で新年の宴を開いていました。

その時に出席していた三十二人の客が、それぞれ梅から何を感じるか、その思いを詩に読みました。

元号としては「日本人の一人ひとりが咲き誇る花々のように文化的に前に進んでほしい」という意味が込められています。

万葉集では桜を歌ったものが約四十首あり、梅は三十二首というところから、梅が古来から人々に愛されてきたのがよくわかります。

張衡による「帰田賦」とは?

今話題となっている「帰田賦」ですが、こちが「万葉集」の大もとであると指摘している人が多くいます。

「万葉集」の原文である「于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉」と、「帰田賦」の「於是仲春令月、時和氣清」の部分がそっくりです。

歸田賦
張衡

遊都邑以永久無明畧以佐時徒臨川以羡魚俟河淸乎未期感蔡子之慷慨感蔡子之慷慨從唐生以決疑諒天道之微昧追漁殳以同嬉超埃塵以遐逝與世事乎長辭於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮王睢鼓翼倉庚哀鳴交頸頡頏關關嚶嚶於焉逍遥聊以娛情爾乃龍吟方澤虎嘯山丘仰飛繊繳俯釣長流觸矢而斃貪餌呑鉤落雲間之逸禽懸淵沈之魦鰡于時曜靈俄景以繼望舒極盤遊之至樂雖日夕而忘劬感老氏之遺誡將廻駕乎蓬蘆彈五絃之玅指詠周孔之圖書揮翰墨以奮藻陳三皇之軌模苟縱心於域外安知榮辱之所如

『文選正文巻之三』

「帰田賦」は「文選正文巻之三」という中国南北朝時代(439年~589年)に作られた詩文集に載っています。

大伴旅人はこれを先に読んでおり、それをオマージュしたのかもしれません。

「帰田賦」の作者、張衡のプロフィール

名前:張衡(78年~139年)
時代:後漢(中国)
職業:科学者、政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人

多方面に才能を発揮した人物で、張衡が開発した水力渾天儀は世界最初のものでした。

張衡は没落した官僚の家に生まれており、青年時代は長安の太学(高等教育機関)で勉強をし、24歳のときには南陽郡守の幕僚(指揮官の補佐官)になりました。

その後張衡は尚書の地位まで上りつめますが、宦官政治を批判し、里に帰ってしまいます。

当時の後漢は第6大皇帝、安帝が収めており、反乱や天災が耐えませんでした。

天災では国がひどい飢餓を起こした状態でしたが、王族たちは豪華な暮らしをしたままです。

張衡はそんな生活が耐えられなくなり、仕事をやめて「世から離れた生活」をしようと考えました。

出家みたいなものですね。

「帰田賦」はその時に「こういう暮らしをするんだ」という気持ちが正直に書き記されています。

世を嫌っていることも書かれていますが、こういった内容は老荘思想(中国の思想で道教の大元)から影響されています。

張衡が批判した「安」帝と、国民から批判される「安」倍政権を重ねて揶揄しているのではないか?

そんな憶測がインターネット上で溢れています。

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安倍内閣による政治に対する皮肉まで

インターネット上には

「政府には国民は学がないと馬鹿にされているのではないか?それに対して学者が強烈な知性でやりかえした」

「学者グッジョブ!」

「偶然にしては出来過ぎている」

といった意見が溢れています。

令和は国書万葉集からの出典と見せつつ、大元は張衡の漢詩「帰田賦」なのは間違いないと思います。

しかも内容は「安帝の政治腐敗に嫌気がさして春の良い季節だし田舎に帰ろうか」といったもの。

暗に安が付くあの人に対する批判だったりするかもしれない…!と思う人も多かったようです。

そもそも「安」が入る元号は嫌だった!という意見も…

「「安」の字が元号に入りそうで嫌だ!」という意見は新元号発表前からありました。

たしかに「安」は元号法で決められている「簡単で誰でも書きやすい漢字」でもありますし、字自体も元号向きの意味に感じます。

しかし元号法では「人の名前に使用される漢字は避ける」という項目もあったせいか、「安」が使われることはありませんでしたね。

学者たちはどういった意図で「令和」を次の元号にしたのでしょうか?

その本当の意味はわかりませんが、個人的には実際ここまで巧みな皮肉を元号に入れるのは難しいのではないか?と感じています。

学者であれば文化に誇りを持っているでしょうから、政治批判に文化を使わないでほしい、文化を使うならば国民が前向きに喜べるように努めて欲しい、といった願望も入っています。

しかし都市伝説レベルの話であれば、面白いと思ってしまいました^^;

※こちらの記事は決して政治批判したいわけではありませんので、ご理解お願いいたします。

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